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×雑記:日本国憲法第9条

少し前になるが、5月3日はみなさんご存知のとおり、憲法記念日だった。昨今憲法改正論議が叫ばれる中、3日の憲法記念日には各地で様々な憲法関係のイベントが行われ、普段あまり憲法というものを意識していなかった僕も、憲法というものを少し考える機会になった。というわけで、今回はその中でも特に「9条」の問題に関して文章を書いてみようと思う。長文なので覚悟してください。
憲法改正の話があるとき、その中身の大部分は9条に関することだと言える。これは特に東アジア地域において北朝鮮を中心とした軍事的な緊張が高まる中で、またアメリカの起こしたイラク戦争に結果として自衛隊が加わることになったという流れの中で、現行の「交戦権の放棄と戦力の不保持」を謳った日本国憲法を維持することが果たして日本の国益に沿うものなのかどうかという疑問が浮かび上がってきたことに起因する。
もちろん、悲惨な第二次世界大戦から60年が経過し、戦争というものに対してあまりにも日本人の意識が希薄化したということもあるだろうし、自衛隊の海外派兵などによって憲法が拡大解釈され、その本質が大きく捻じ曲げられている現状を憂う声もあるだろう。

ではまず最初に、憲法第9条を一度読み返してみることにしよう。

第2章 戦争の放棄
 
第9条 
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第2項
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


この9条を解釈する上で重要なキーワードとなるのが、戦争と戦力だ。戦争戦力という簡単な言葉を改めて解釈する必要はないのではないか、と思われがちだが、実際には意外と複雑なのだ。
まず、戦争には2種類ある。すなわち、侵略戦争と自衛戦争だ。
終戦直後、日本国憲法が作成された当時は、日本では9条に記された「戦争」とは、侵略戦争と自衛戦争の両方を指すものという解釈が多勢だった。だが、朝鮮戦争や東西冷戦などによる軍事緊張の中で、少しずつその解釈が変わってゆく。そして1950年には警察予備隊が作られ、1954年には現在の自衛隊が創設されることとなる。
現在では9条に記されている「戦争」とは侵略戦争のことであり、自衛戦争は憲法違反ではない、という解釈が多勢となっている。
が、実際に歴史を振り返ってみると、日本がアメリカに宣戦を布告した太平洋戦争でさえ、侵略戦争と呼べるものではなかったことがわかる。つまり、「侵略戦争の放棄」では、いくらでも理由をつけて先制攻撃を行うことは可能なのだ。例えばアメリカのイラク戦争は「侵略戦争」ではなかったことはおわかりいただけると思う。

9条改正論議の中で最も頻出する議題が次の「戦力」の問題だ。
自衛隊は9条に記載された「戦力」には当たらないのか?
はっきり言って、自衛隊は軍隊だ。しかも、世界でも有数の。
これは9条2項に反するのではないか?
この問題に関しては、何らかの方法を取って解決しなければならないだろう。これは、日本に暮らす国民全てにとっての課題なのだ。

9条の問題を語るときによく登場する言葉の中に、集団的自衛権というのがある。言葉の意味を簡単に説明すると、自国ないしは自国の同盟国が第三国から何らかの攻撃を受けた場合、双方が共同でこれに抗戦する権利のことを言う。
自衛権にはもうひとつ、個別的自衛権というのもあり、これは自国が他国から攻められた場合に抗戦する権利のことだ。この個別的自衛権は、国家の主権を維持するために必要不可欠であることから、9条の交戦権の放棄には当たらず、現状でも日本は保持しているというのが一般的だが、集団的自衛権については日本はこれを保持していないという解釈が一般的だ。これを9条を変えることで行使できるようにする、というのが一部の改憲派の狙いとなっている。
では、もし日本が集団的自衛権を手に入れたら、どのようなことがおこりうるのだろうか?
過去に集団的自衛権が行使された事例を以下に列挙してみる。
アメリカ
ベトナム戦争
・グラナダ侵攻
・ニカラグア介入
ソ連
・チェコ侵攻
アフガニスタン侵攻
・ハンガリー介入
イギリス
・イエメン介入
・レバノン・ヨルダン介入
詳しく知らない事例もいくつかあるが、大体が国連総会で非難決議が上がったり、歴史的に間違いだったとされているものだ。まぁ、戦争そのものがもともとよいものではありえないのだから、集団的自衛権が行使されてよかった事例などあるはずがないのだけど。
これらの事例から考えると、最も可能性として考えられるのが「アメリカの戦争に駆り出される」ということだ。例えばベトナム戦争に派兵した韓国軍のように。これは集団的自衛権が認められ、アメリカが他国と戦争を始めた場合にほぼ確実に起こりうることで、結果として日本は「戦争をする国家」になることは明白だ。これに護憲派は猛反発しているわけだ。

だが現実問題として、現在日本の周辺はあまり芳しくない。「ならずもの国家」呼ばわりされた北朝鮮やますます反日攻勢を強める中国、韓国。その上北は核兵器の保持をちらつかせ、現在でも中距離弾道ミサイルの照準を日本に合わせている。
この抜き差しならない状態において、日本を物理的に守っているのは日米安保というアメリカとのつながりだ。いかな反米論者でもこれを否定することはできないだろう。そしてもし、この状況で日本がアメリカの軍事力の傘から外れるようなことがあるなら、日本という国は「9条と共に滅びる」か「9条を変えて生き残る」かの二択を迫られることになるのは間違いない。
一部の護憲論者は「例え北朝鮮でも外交努力で友好な関係を築くことができる」と考えているようだが、例えそれが不可能ではないことだとしても、そんなわずかな可能性に多くの日本国民の命を懸けることはできない。あくまでも仮定の話だが、日米安保がなければ僕は間違いなく改憲論者になっていただろう。


さてここまで長々と書いてきたが、最後に自分のスタンスを書いておきたいと思う。まず、僕自身は9条に関しては「護憲派」だ。現行の9条はそのまま保持し続けるべきだと考える。
理由としてまず一番大きいのは、9条は時に暴走しがちな一部の愛国主義者、つまり極右を抑制するストッパーとして非常に大きな役割を果たしているからだ、というのがある。
9条があることによるマイナス面ももちろんわかっているつもりだが、日米安保への依存や、先制攻撃が不可能なことによって自国の国民が一定の危険にさらされるということを考えても、日本の軍隊が他国で人を殺し、または殺され、日本という国の価値が地に堕ちていくことを許容することはできない。ある意味で理想主義的な考え方かもしれないが、戦争はなくすことができるとも思っている。
現行の憲法の矛盾や拡大解釈の問題は非常に難しいのだが、僕はある程度の矛盾は構わないと思う。上で「自衛隊は軍隊だ」と断じたが、「自衛隊は軍隊ではないよ」と建前で述べればそれでいい。
あとは政府が拡大解釈をやめ、自衛隊の海外派兵による国際貢献ではなく、もっと違う角度からの貢献を考えればいい。いい加減なようだが、そんな考え方をしている。

日本国憲法は、改正するために二つのハードルを設けている。一つは国会で全議員数の3分の2の賛成を必要として可決される国民投票法が成立すること。もうひとつはその国民投票が実際に施行され、国民の過半数の賛成を得ることだ。
現在の国会ではその国民投票法案の草案作りが進んでいるわけだが、護憲派の一部はこれにまず反対している。これは間違っていると僕は思う。憲法は「絶対に変えてはならない」ものではない。時代が変わり、必要があれば「変えてもよい」ものであるはずだ。
9条の問題だけを取り上げればこれは変えるべきではないと思が、他の部分では変えたほうがいいと思うものもある。それらを変えようとするとき、国民投票法は必要になってくる。今まで制定されてこなかったのが間違いで、制定されるのがあたりまえだと思う。

これまで改憲論議どころか、「憲法を変える」と発言する事さえもタブー視されてきた中で、ようやく最近になって実のある憲法論議がなされるようになってきたのはとてもいいことだ。
日本という国の行く末を大きく左右する重大事項なだけに、全ての国民がもう一度憲法についてしっかりと考え直し、自分なりの考えを持つことが非常に重要なことだと思う。

【関連サイト(参考サイト)】
日本国憲法
http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM
日本国憲法第9条 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本国憲法第9条
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