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×雑記:自分と音楽

#Attention!
今回の記事は非常に厨臭い内容となっております。
そのような文章に免疫のない方は回避されることをお勧めします。
あとめっちゃ長いです。

というわけで、今回の雑記は自分の中での音楽というものの位置づけと、好きな音楽、そうでない音楽とを比較して自己分析っぽいことをしてみようと思う。

お気づきの人もいるかもしれないが、僕は非常に神話とかファンタジーといった架空の世界観が大好きだ。その中でも特に中世ヨーロッパと俗に言われる雰囲気が好きで、実際の10世紀~14世紀のヨーロッパはそんなにいいものではなかったと知りつつも、騎士や鉄の響く音にとても子供っぽい憧れを抱いてしまう。
その流れでいくならば、少し前に知り合いに勧められたSound Horizon(以下SH)は本来であれば僕のストレートコースど真ん中になるはずだったのだ。
ところが、実際Elysion ~楽園への前奏曲~から何曲か聴いてみても、いまいちピンとこない。実際のところ、澪音の世界なんかは結構好きだったりするんだけど、音楽の中に語りを多用するSHの特徴とも言うべき部分がどうしてもなじまなかった。
これはなぜだろうか、と自分で少し考えてみた。
もともとエセ古文調というか、ファンタジー小説なんかでよく見られる「~し」や「~ん」といった語尾に食傷気味だったこともあるだろう(例えば「終末を告げ”し”獣」など)。
スレイヤーズなんかにハマっていた数年前は確かに、ああいう口調はなんとなくかっこいいなと思っていたが、高校に入って古文を習い、学問として改めて捉えなおしてみると、あれは「古く見せかけるための手法」だったのだと気づく。それはそれで否定はしないのだけど、一度冷めてしまうともう同じような目で見ることはできなくなる。
そしてもうひとつ。こっちのほうが多分理由としては大きい。
つまり僕は、SHの曲を他のJ-POPなどと同じように歌曲として捉えていたのだ。SHの音楽は歌、語り、演奏の3つが合わさってできている。それぞれの比重はほぼ同じくらいだろう。
特にストーリーボードを重視する傾向にあるSHの音楽は、結果として饒舌にならざるをえない。その部分を語りとして補っているわけだが、歌と演奏の二重構造に慣れきった頭はどうしてもそれを拒否してしまっていたのだ。
実際のところ、SHのボーカルはそれほどいいわけではない。メロディーはしっかりと取れてはいるが、どうも無機質に(情感を込めた語りと対比させるためにあえてそうしているのかもしれないが)感じられてしまうからだ。
結局のところ、ボーカルにあまり魅力を感じられず、語りに拒否反応を示し、語り口調を冷めた目で見てしまっていては、そりゃ好きになれないのもあたりまえである。
とりあえず今後はこの硬い頭をなんとか柔らかくして、もう一度SHの音楽を見直してみようかなと思っている。冒頭の繰り返しになるけど、世界観は好きなはずなのだから。

さて、世界観という言葉を幾度か使ったが、僕が好きなアーティストの音楽にはある共通項がある。
まず好きなアーティストを列挙してみると、男性ボーカルではMr.Children、L'Arc~en~Ciel、平井堅、森山直太郎、女性ボーカルでは鬼塚ちひろ、椎名林檎といったところ(他にもまだまだいるが)。
もうまんま王道というかメジャーというか、ごく普通のJ-Pop好きなわけだけど、メジャーJ-Popならなんでも好きというわけでもない。GlayやB'z、宇多田ヒカルらへんはそれほど好きなわけじゃない。
ではそれらを区別するラインは何か。それが世界観なのだ。
これは完璧に個人的な主観なのだけど、好きなアーティストの曲はメロディーそのものが世界観を持っている。曲ごとに雰囲気を大きく変えるアーティストはあまり好きではなく、常に統一された雰囲気を持っているアーティストが、ある意味でわかりやすくて好きなのだ。
例えば、ラルクは僕がどストレートで好きな「少し古びたファンタジー的な」中世ヨーロッパのイメージを持っているし、森山直太郎は「古きよきイメージ」の明治・大正期の日本を髣髴とさせる。これは椎名林檎も似たような感じではあるけど、椎名林檎のほうがやや淫靡でミステリアスだ。
こんな感じで、僕がハマってしまう音楽はとてもイメージがはっきりしていてつかみやすいものが多い。
あと個人的に、歌を歌うだけのいわゆるシンガーはアーティストとは思っていない。歌詞を書いてギリギリ、って感じ。

最後に、自分自身にとっての洋楽の位置づけについて。
邦楽より洋楽のほうがレベルが圧倒的に高い、という考えには全く反論しないし、実際その通りだとは思う。もともと人口規模が桁違いなのもあるし、歴史的にも、もしかしたら体の構造的にも欧米人のほうがより高いレベルにあるのは間違いないだろう。
言語としては、これは英語のほうが音楽に向いている、というのには反論があって、英語は日本語に比べて表現手法が圧倒的に少ないのは疑いようがなく、発音やセンテンスの構成としてはアップテンポ音楽には向いているのは認めるが、中身の濃い歌詞を綴るときには日本語のほうが圧倒的に有利だと僕は思う。
よく「日本語の歌なのにタイトルを英語にしたり途中途中で英語のセンテンスを入れるのはナンセンスだ」みたいな意見を耳にすることがあるけど、日本語と英語の質の違いや、距離感の違いというものを理解すれば、ナンセンスなのはどちらか自ずとわかる。
話がそれたが、洋楽のほうが邦楽より質が高いと認めつつも、ではなぜ僕は洋楽をほとんど聴かないのだろうか。
理由の1つは間違いなく言語的なものだ。歌詞が何を言ってるのかもわからず、適当に聞き流すには洋楽は重い。どうしても歌詞の意味を知ろうとしてしまう。だがいちいち1曲ずつそんなことをしていると、数を聞きこなすことはできなくなる。
もう1つは多分対抗意識なんだろうと思う。ろくに洋楽の曲の歌詞の意味も知らないような人間が「邦楽なんてレベル低すぎて聴く気がしない」なんて言いながら邦楽を馬鹿にする。または洋楽を好んで聴く人が本物の音楽ファンだというような風潮がある。そういうものに対する子供っぽい馬鹿げた抵抗なんじゃないかな、と思うときがある。
でも最近、Mercoraで洋楽を聴きだしてから、少しハマりそうになっている自分がいたりする。Green Dayよすぎ。

改めて読み返してみると支離滅裂な上に長すぎる文章だー。昼休みになにやってんだろ自分。全部読んでくれる人は多分いないと思うけど、まぁ自分用と思えばいいかな。もし読んでくれた人がいたなら感謝。
アーティストの音楽に対する感想は主観的なものなので、あまり過激な突っ込みは勘弁してください。特にSHは最近聴きだしたばっかりなので、まだわかってない部分が大きいかも。
それではまた。
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