×スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

×雑記:詭弁のガイドライン

ネット上の掲示板などで議論が白熱すると、お決まりのように貼られる15ヶ条の文言がある。いわゆる詭弁の特徴のガイドラインというやつだ。これは、議論を誤った方向へミスリードする、または正常な議論を阻害する恐れのある典型的な意見の特徴を、15パターン書き出したもので、これを提示することで討論の相手の無駄な反論を防ぎ、議論を円滑化することを目的として作られた。
詳しい出典はわからないが、2chのガイドラインスレログは以下。
[http://ton.2ch.net/gline/kako/1028/10288/1028811653.html]
詭弁の特徴のガイドライン(以下同スレッド内より引用)

1:事実に対して仮定を持ち出す
2:ごくまれな反例をとりあげる
3:自分に有利な将来像を予想する
4:主観で決め付ける
5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる
6:一見関係ありそうで関係ない話を始める
7:陰謀であると力説する
8:知能障害を起こす
9:自分の見解を述べずに人格批判をする
10:ありえない解決策を図る
11:レッテル貼りをする
12:決着した話を経緯を無視して蒸し返す
13:勝利宣言をする
14:細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる
15:新しい概念が全て正しいのだとミスリードする


8や10なんかは詭弁というかもう投げやりな状態に思えるのだが、1~5、14などは実際によく見かける。これらの意見が詭弁や議論になんの進展ももたらさない無価値な意見であることは、ガイドラインを知らなくてもある程度はわかるものだが、こうやってテンプレート化されるととてもわかりやすくていい。

では、実際の詭弁というのは一体どういうものなんだろうか。
ついこの前、なんとなくWikipediaを見ていると、ある項目のノートで2人の白熱した(?)議論が行われていた。少し気になったので読み進めてみると、片方が明らかに議論を誤った方向へ向かわせようとしたり、議題とは関係ない話題を持ち出したり、決めつけ
を行ったり、根拠のない主観を主張したりと、詭弁のオンパレードとも言うべき論理を展開し、一向に自分の主張を変えるどころか、相手の主張を理解しようともしないでいる。で、これは詭弁のガイドラインの説明に丁度いい、と思い当たったわけだ。
全文を引用すると文章が非常に長くなるため、まず最初にそのノートのアドレスを貼っておく→Wikipedia/自虐史観/ノート
自虐史観云々についてはとりあえず置いておくとして、一度自虐史観の項目を読んでもらうとわかると思うが、百科事典とは思えないほどとても主観的な表現がいくつも見受けられる。僕も最初に読んだときは、一連の文章が百科事典の項目ではなくまるで論文の一部のような錯覚を覚えた。これは、Wikipediaの「事実のみを書け、意見は書くな」という大原則に大きく反する。これに対してTobey氏がノートでおそらく執筆者であるPeace氏に意義を申し立てている、という状況だ。それでは、ガイドラインに沿っていくつか両氏のやりとりを抜き出してみよう。今回は特に、一番最後の項目の本文最終段落「時代の成り行き~確立されるものであろう」の必要性でのやりとりについて抜き出してみた。
(以下Wikipedia、自虐史観の項目のノートより引用)

「…二度と繰り返させてはならない事は言うまでもない」
「…歴史の真実を見極め反省しなければなるまい」
「…歴史を繰り返させる結果となる」
「…あきらめる事はしないであろう」
「…確立されるものであろう」

いずれも、個人的な見解を述べていることが解ります。
Wikipedia:中立的な観点には「事実、様々な意見に関する事実も
含めた事実を書け―だが意見は書くな」というルールがあります。
個人的な意見を書くことは、このルールに抵触しますので、当面、
コメントアウトにすべきかと思います。--Tobey 2005年1月11日
(火) 15:00 (UTC)

このような普遍的に賛同できるコメントを個人的な意見として排除
しようとするTobeyの意図が 不明ですな。このコメントに対して
削除せねばならない程の異論でもあるのですかな?--Peace 2005
年1月12日 (水) 18:59 (UTC)

「2005年1月11日 (火) 15:00 (UTC)」の記述で指摘しているように、
Peace氏が個人的に「普遍的に賛同できる」と思うかどうかは関係
なく、「事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――
だが意見は書くな」ということです。つまり、削除する理由は、
問題の文章が意見の発表となっているので、Wikipediaのルール
に反するということです。

Peace氏もしくはWorld氏にお聞きしますが、件の「普遍的に賛同で
きるコメント」とは、誰のコメントですか?発言者の具体的な名前
と、典拠を提示してください。提示できない場合は、個人的な意見
であると見なさざるを得ません。--Tobey 2005年1月12日 (水)
19:10 (UTC)


(引用ここまで)
Tobey氏が「主観的な意見に基づいて書かれているのではないか」という意見を出しているのに、Peace氏は「普遍的に賛同できる」という仮定を持ち出している。これはガイドラインで言う
4:主観で決め付ける
5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる

に当たる。また、Wikipediaの中立性が問題であるのに、そのことには一切は触れず、あたかもTobey氏がなんらかの別の意図を持ってこの記事を削除しようとしているのではないかと匂わせる発言をしている。これは同じくガイドラインの
6:一見関係ありそうで関係ない話を始める
7:陰謀であると力説する

に極めて近い。
(以下、再びWikipedia、自虐史観の項目のノートより引用)

Tobey氏が「南京大虐殺論争」で自身の願望とコジツケに基づいて
「学会の反応」などとして堂々と本文保護されている「意見」は
諸氏からその内容を全面否定されていますが、ここであなたが
コメントアウトすべきとしている「意見」は誰も否定していません
し、むしろ歴史を学び現在に生かす為の素晴らしいコメントだと
思いますよ。ダブルスタンダード丸出しで都合のいい時だけ杓子
定規にルールを持ち出すのではなくもう少し公平で、柔軟な思考で
編集に携わって頂きたいものですな。Tobey氏はそのコメント内容
のどこが気に入らないのかをお答え下さい。--Peace 2005年1月
12日 (水) 20:39 (UTC)


(引用ここまで)
これはお見事。ここまで完全にガイドラインの
6:一見関係ありそうで関係ない話を始める
9:自分の見解を述べずに人格批判をする

を含んだ意見はなかなかお目にかかれない。完全に「自虐史観の記事の中立性」から「Tobey氏の人格」へと論点をすり替えようとしているのがよくわかる。あまりに唐突過ぎてあからさまだが。
その後のやりとりを見ていただけるとわかるが、Peace氏は上の発言の直後でTobey氏が「他の記事の話ならそっちでしてくれ」と回答しているにもかかわらず、一向にこの路線を訂正する気配がない。一連の流れから、どうやら両氏は色々な場所で似たような議論をしているようだが、そういう別所の問題を持ち込むことは正常な議論の大きな妨げとなることは言うに及ばない。
(以下、再びWikipedia、自虐史観の項目のノートより引用)

Tobey氏はあの主張を「個人的意見」と見なされるという事
ですかな?私だけでなく多数の方も賛同される建設的主張だと
考えますな。現にあなたも自身の意見として反論できず、予想
するだけに留まっておられますな。従って「個人的意見」ではなく
ルールに反しないと言うのが私の見解です。これで2点。
あとあなたの予想した反論を自身の意見として為されるならば、
それに対する反論をさせて頂いてもよろしいですがどうされます
かな?以上3点へのお答えを気長にお待ちしております。--Peace
2005年1月18日 (火) 19:30 (UTC)


(引用ここまで)
これも説明するまでもなく、ガイドラインの
1:事実に対して仮定を持ち出す
3:自分に有利な将来像を予想する

の2点に抵触していることがわかる。話が逸れるが、すでに『建設的“主張”』である、と事実ではなく個人的な意見であることを自分で認めてしまっているのがなんとも。ある意見が大勢の意思を反映した一般的かつ普遍的なものであるかどうかなど、一斉国民アンケートでもとらないとわかるはずもない。民主主義でそれにあたるのが総選挙なわけだが、それですら現在は投票率6割程度に収まる始末。『多数の方が賛同する』だけでは、『一定数存在している非賛同者』の意見を無視することになり、百科事典に記載すべき中立性があるとは到底考えられないことは明白だ。

ここまで主にPeace氏の詭弁的な意見をいくつかガイドラインに沿って抜粋してきたが、ではTobey氏はどうなのだろうか?
実は、Tobey氏もいくつかガイドラインに抵触しかねない意見を提示しているのだ。それは以下の二点。
2:ごくまれな反例をとりあげる
13:勝利宣言をする

だが、今回の一連のやり取りにおいては、ごくまれな反例を挙げることは非常に重要な意味を持つ。それはWikipediaの中立性に関わる問題だからだ。本来Wikipediaに個人の意見を書くこと自体が間違ったことなのだが、もしその意見が一点の曇りもなく100%の支持を集めているものであれば、それは一つの事実となる。特に歴史問題などに関しては、文書などの明確な証拠がない事例についてこの部分が非常に重要となってくる。このときもし少数派の見方を抹殺する動きがあった場合、それは百科事典の中立性を著しく損なう原因となるため、必ず「多数派・少数派」如何に関わらず、両者の見方を記述することが必要なのだ。今回の自虐史観の項目では、この「少数派」の意見が完全に抹殺され、あたかも「多数派」の意見が総意であるかのような記述がなされているため、これを訂正する必要があると考えられるのだ。
勝利宣言については、一定期間の反論がなければしても問題はないように思うが、その一定期間をどれくらいと考えるかは個人次第な部分があるので何とも言い難い。議論のスピードにもよる。

とまぁ、Wikipediaの自虐史観のノートでのやりとりを元にして詭弁の特徴のガイドラインについて説明したが、これはあくまでもガイドラインの解説を目的としたもので、ある特定の個人を攻撃するための文章ではないことをしっかりと明記しておく。上で書いた僕の意見が詭弁であると考える人もいるだろうし、それはそれで全く構わない。大事なのは、議論を行う際に不必要な情報はなるべく排除し、感情的な要素もできうる限り無くし、よりシンプルでわかりやすい状態へと持って行こうと双方が努力するということだ。一見複雑そうに見える議論でも、本質だけを抜き出せば意外に単純で答えが見え透いているということはよくある。

Wikipediaという新しい百科事典のカタチはとても素晴らしいものだが、誰もが編纂に参加できるというWikiの最大の利点は、時に最大の問題点になってしまうというのはなんとも皮肉なものだな、と思ってしまった。あなたが普段閲覧しているWikipediaの記事の裏側でも、同じような凌ぎ合いが繰り広げられているかも…。

【関連サイト(出典元)】
メインページ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/メインページ
自虐史観 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/自虐史観
詭弁の特徴のガイドライン
http://ton.2ch.net/gline/kako/1028/10288/1028811653.html
はてなダイアリー - 詭弁のガイドライン
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%EB%CC%CAۤΥ%AC%A5%A4%A5ɥ饤%A5%F3?kid=68366
スポンサーサイト

コメント


コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック

[トラバURL]http://neoblog.blog6.fc2.com/tb.php/30-cb2b00ef
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。