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×言葉ノート - 文学1 - パラドックス

エピメデスのパラドックス:
『クレタ人のエピメデスが言った。「クレタ人はみな嘘つきだ。」』
いわゆる自己言及のパラドックスと呼ばれるもの。自分自身を対象に含めてしまうことによって発生する矛盾を指す。この場合であれば、「クレタ人は全員嘘つきである」ということが真であればエピメデスの言葉は嘘となるので、「クレタ人は全員嘘つきである」という言葉も嘘、つまり偽ということになり、逆の場合でも同様に矛盾が発生する。

ベリーのパラドックス:
19文字以内で記述できない最小の自然数を求めるとしたとき、「19文字以内で記述できない最小の自然数」は「19文字以内で記述できない最小の自然数」という19文字で記述できてしまうので、最初の定義に合致せず矛盾してしまう、というもの。

囚人のパラドックス:
ある刑務所で、ある死刑囚に対して死刑の執行が告知された。死刑執行人はその囚人に対して、「月曜から金曜までの間のうち、お前が予測できない曜日に死刑を執行する」と告げる。それを聞いた囚人は考えた。「金曜日に死刑になることはありえない。なぜなら、木曜日まで刑が執行されずに生きていれば、自分は金曜に死刑になることを予測できてしまう」またしばらくして、囚人は考えた。「木曜日に死刑になることもありえない。なぜなら、金曜日に死刑になることはありえないのだから、水曜日まで自分が生きていれば木曜日に死刑になることを予測できてしまう」以下同様に、水曜日についても、火曜日についても、月曜日についても死刑が執行されるはずのないことに、ついに囚人は思い至った。「やった。つまり自分の死刑は執行されることはないのだ」
やがて月曜日になった。死刑執行人が現れ、囚人の死刑を今から執り行うことを告げた。囚人は「どの曜日で死刑が行われても自分はそれを予測することができる。よって死刑が行われるはずがない」と抗議したが、執行人は「だがお前は今日死刑が行われることを予測できなかったではないか」と答えた。そうして囚人の死刑は執行された。

アキレスと亀のパラドックス:
ギリシャ神話に登場する俊足の英雄アキレスと、ある亀が競走をすることになった。ただし、同じ条件で競走したのでは到底亀に勝ち目はないので、亀はアキレスにハンデとして数m前からスタートさせてくれるように頼み、アキレスもこれを了承した。すると亀は、アキレスはこれで絶対に自分を追い抜けなくなった、と言い放った。
その理由はこうである。スタートの合図と共に両者が走り出し、アキレスが亀がスタートした地点までたどり着いたとする。そのとき亀はその間にある程度の距離、例えばA地点まで進んでいるはずだ。その後亀のスタート地点を通り過ぎたアキレスが、さらに走ってA地点までたどり着く。すると亀はさらにその間にまた少し先のB地点まで進んでいる。アキレスはさらに走りB地点に到着する。亀はその間にC地点まで進む。アキレスはC地点へ。すると亀はその間にD地点に。以下繰り返し。
このように、アキレスが如何に亀に追いつこうとしても、亀がいた場所まで走っている間の時間に必ず亀は前に進んでいるので、両者の距離は縮まりこそすれ永遠に追いつくことはできない、ということだ。
もちろん実際にこんなことは起こり得ず、亀は簡単にアキレスに抜かれてしまうはずだ。

タイムパラドックス:
別名親殺しのパラドックス。もしタイムマシンなるものが完成した場合、それを使って過去に行き、自分の親を殺すとどうなるか。自分を生むはずの人間が死ねば自分は存在しなくなるが、自分が存在しないということは自分に殺されるはずの親は死ぬことはなくなり、結果自分は存在してしまう。
余談だが、ドラえもんで「地球破壊爆弾」なるものが出てきたとき、「これをタイムマシンで過去の地球に持って行って炸裂させたらどうなるんだろう」と子供のころひたすら考えたことがあったなぁ。

誕生日のパラドックス:
ある部屋に無作為に人を集めるとき、何人集めれば「同じ誕生日を持つ人がいる確率」が50%を超えるか。1年が365日あることを考えると、かなりの数を集めなければならなさそうだが、実はたった23人集めるだけでよい。
このパラドックスは、「矛盾」という意味のそれではなく、直感的な回答に反した答えを持つ問いのことを意味する。

パラドックスに関する雑考:
アキレスと亀のパラドックスは、古代ギリシャの哲学者ゼノンが考え出したもので、空間や時間の無限分割により起こるパラドックスである。無限という概念を扱おうとすると、どうしてもその性質から様々な矛盾点が出てきてしまう。それを突くことで、ゼノンは「万物は一からなる」というパルメニデスの主張を崩そうとした。このように、無限や永遠といった一種の反則のような概念は、実際のものとして捉えなおすと途端に手に負えなくなる性質を持っている。
例えば、数直線上の0.9の地点に点を打ち、それを0.99、0.999、0.9999と回数nにつき0.9*0.1^nずつ前に進めていく、という動作を無限回行うと考えたとき、点は永遠に前に進み続けるにもかかわらず、永遠に1に到達することはない、という矛盾が顕れる。
また、“永遠の命”というものを授かった人間がいるとすると、その人間が“永遠の命”を本当に授かったかどうかを確認する術は存在せず、ただその人間が死んだときにのみ「その人間は“永遠の命”を授かっていなかった」という事実が確認できるのみである、という矛盾も考えられる。

タイムパラドックスについては、多世界解釈を用いることで回避が可能であると言われている。多世界解釈とは、簡単に言えば世界は可能性によって無限に枝分かれしているという考え方で、シュレーディンガーの猫に代表されるような量子力学の矛盾を説明するための一解釈である。SF的に言うと、「こうなる可能性もあった」というパラレルワールドが無限に存在しているということだ。この解釈を使用すると、タイムマシンを使って過去に行き、自分の親を殺したとしても、「自分の親が死んだ場合の世界」が新たに生まれるだけで、自分が生まれた世界には何の影響も及ぼさないということになる。
ここでも無限という概念が登場するが、ここでの無限は正確には限りがないというわけではない。なぜなら、この世界に存在する確率事象は膨大な数には上りこそすれ、果てしなく多いというわけではないからだ。なので、平行世界の数は有限なはずなのだが、それでも無限に近いくらいたくさん、ということに変わりはなさそうだ。

上記以外のもので思いつくパラドックスとしては、「無生物から生物は生まれないはずなのに、なぜ原始地球上に生命は誕生することができたのか」や、「全ての結果には原因があるという因果律を考えた場合、では全ての始まりとなる原因はどうやって起こったのか」などの、“始まりに関するパラドックス”も考えてみるとなかなか面白い。
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