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×雑記:新聞にとっての読者投稿欄とは?

今日はちょっと変わったテーマについてつらつらと考えたことを書いてみたい。そのテーマとは、「新聞もしくは新聞社にとって読者投稿欄とはどういうものか?」というものだ。
なぜいきなりこんな雑記を書こうと思ったかというと、ぼやきくっくりさんのところで下の産経の社説を見たからだ。

産経朝刊12/6付「談話室」(読者投稿コーナー)より

●いっそう好きになった台湾

 先日、妹と台湾旅行をしたときのことである。街を歩いていると方々で「こんにちは」と挨拶された。公園で休んでいると「日本の方ですね」と八十歳ぐらいの老人が近づいてきて「私は戦時中、灘(神戸)の造り酒屋で働いていました」と懐かしそうに話しかけてくる。
 彼は日本語で話がしたくて、毎朝日本人が通りかかるのを待っているのだという。私たちは黙っているのに、なぜ日本人とわかるのだろう。台湾人と日本人は同じような顔をしている。
 台湾人のガイドに尋ねてみた。日本の師範学校で学んだという七十歳代の男性ガイドは「品がいいからですよ」と答えた。お世辞を言っているようには思えなかったけど、私は半信半疑だった。「ガイドさんにもわかりますか」。重ねて尋ねると、「もちろんです」との返事。そしてまた「品が違います」と言う。
 日本の歴史にも詳しく、きちんとした日本語を話す彼は、「日本人はもっと自信を持っていいんですよ」とつぶやいた。
 中国や韓国に一方的に言われっ放しの近ごろの日本を、ふがいなく思っているのだろうか。私は何も言えなかった。ただ、台湾がいっそう好きになった。
(主婦 白石芙美子/愛媛県今治市)


朝日新聞の読者投稿欄「声」が、朝日の思想を読者の声という建前を借りて喧伝しているだけのコーナーであることは、狂想 電波投稿を食べないで下さいさんのところを適当に見ているだけでも充分に思い知ることが出来るし、ネットで情報を集めている人ならほとんどの人が知っていることだと思う。だが、ではその他の新聞社、特に方向性は正反対なものの朝日と並んで思想色が強い産経新聞などではどうなってるんだろうか、と結構前から気になっていたのだ。
僕自身は産経新聞は結構好きで、大学の昼休みに図書館に新聞を読みに行ったときは、いつも日経と産経のどちらかかもしくは両方を読んでいるくらいだ。ただそれでも、時には「これはさすがに目に余るような記事だな」と思ってしまうような記事を見つけることもあり、そういう記事を見てしまうと、僕の中での産経のポイントがダウンしてしまう。でもやっぱり産経は嫌いにはなれないのだが。

さて、朝日新聞の読者投稿欄を批判する人は(僕もそうだが)、掲載された読者投稿そのものをその内容のあまりのデムパぶりに嗤うか、あからさまに偏った読者投稿のみを掲載する朝日新聞社を非難するかのどちらかだというのはわかってもらえると思う。

当然ながら、その批判が前者であるぶんにはなんら問題はない。その文章の言っていることにあきらかな矛盾があったり特定の誰かを間違った論理で非難していたり恐ろしく夢想的な(というか子どもっぽい)主張だったりそもそも本当に子どもの主張だったりと、おかしい投稿はたくさんあるし、またそういう批判されるべき投稿を多く載せているということに対する新聞社への批判も、同様に問題はないだろう。

では後者のほう、つまり特定の方向に偏った情報や思想を意図的に抽出して掲載するということに対しても、果たして同様に批判するべきなのだろうか?
今回の産経の読者投稿は、読めばわかるとおり、「日本って本当はもっと素晴らしいんだ」ということを読者に伝えるために掲載されたと思われる。タイトルこそ「もっと好きになった台湾」だが、言っていることは「もっと好きになった日本」と言い換えても通じそうな内容だ。
別にそのこと自体はなんら問題があるわけではないし、こういう体験をした人がこの喜びを他の人とも分かち合いたいという気持ちで産経新聞に投稿し、編集部が採用して掲載されたという流れにも何も問題はない。だが、この投稿を採用した編集部に、「日本って本当はもっと素晴らしいんだ」ということを広く読者に知らしめたい、という明確な意図があったということは、普段の産経の論調を見ていれば恐らく間違いないだろうと思えるし、さらに言えばその意図は「思想」であるという一点において朝日のそれと全く変わりはないと言っていいだろう。
つまるところ、朝日が独自の思想においてある特定の考えをもった人の投稿ばかりを採用するということと、産経が「日本の素晴らしさを伝えたい」という思想のもとに上のような読者投稿を採用するということは、本質的には同じだと僕は思うのだ。
前にも書いたことがあるが、僕は「思想に安易な正誤はなく、もし誤った思想があるとするならば、それは思想そのものが誤っているのではなく、その思想の元となっている事実認識が誤っていることが原因であることが多い」と考えているので、その考え方でいくと、朝日の「中・韓が好きだー」という「思想」も、産経の「日本が好きだー」という「思想」も、その賛同者の多寡に関わらず(方法論は別として)正当性は変わらない。なので、「思想に基づいて情報選別を行っている」という意味では、両社のやっていることは全く同じなのだ。

僕は新聞にとって読者投稿欄というのは必要不可欠なものであると思う。それは、新聞が単に編集部の独りよがりな主張を繰り返しているのではなく、それに対する読者からの何らかのフィードバックがあるということを示すためや、読者の体験や考えをさらに広く伝えるという役割のためだ。
その役割から考えると、新聞の投稿欄がその新聞社の論調と似通ってくるのは当然のことであり、さらに言えば、その新聞の編集部が自分たちの論調に合った投稿を抽出して掲載するのも当然のことではないだろうか。

結論として結局僕が何を書きたかったのかというと、今回の産経の投稿記事が「日本の素晴らしさを伝えたい」という意図の下で選ばれたと仮定するならば、朝日の読者投稿欄を「内容が中・韓を美化しているものを選んでいる」と批判する人は、もし産経でも上記のようなあからさまな内容の投稿が採用されていた場合は同じように「日本を美しく見せようとする意図が感じられる」と批判するべきだし、上記の産経の読者投稿を批判しないのであれば、同様に朝日の偏った読者投稿選別を批判するべきではない、ということだ。
あからさまであるかどうかは個人の感じるところだから、今回の産経の投稿のどこがあからさまなんだ?と思う人はそれでいいと思うし、何も今回の投稿を非難しなかった人全てが朝日の投稿欄を非難するな、と言っているわけではない。ただ、自分の思想と合致したものの下で行われる行為は是認するが、自分とは違った思想の下で行われる同様の行為は否認する、という一種の二重基準のようなことは、できるならばしないほうがいいことだと思うし、僕自身は常にしないように心がけたいと思う。

なんだかまとまらない文章になってしまったが、そんなことを考えていた秋の(冬の?)夜長でした。
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