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×雑記:ゲーム市場の次のターム

ゲームは、10年周期で変化する ~E3の縮小と、DSの大ヒットが意味するもの
という日経ビジネスの記事が結構面白かったので感想を。

内容を要約すると、以下のようになる。

・ゲーム市場は10年おきに変革が訪れている
・00年代の半ばはその4度目にあたる
・90年代半ば、SFCの後期やPSの登場によって始まったゲームのタームは終わりを迎えようとしている
・それを象徴的に表しているのがE3の規模縮小とDSの大ヒット
・これからの10年でどのようなゲームが主流となるかはまだわからない

90年代半ばから始まったゲーム市場の流れとは、それまでの子供向けのシンプルで簡素なゲームから脱却し、グラフィックの華やかさや奥深いストーリー、複雑なゲームシステムなどを取り入れた、より幅広い年齢層へのアプローチを意識したゲームが増えたことを意味する。

言われて見ればその通りで、ゲーム市場はわかりやすいくらいに10年ごとに変革期を迎えている。
70年代半ばにゲームセンターやゲーム喫茶といった場所に設置されはじめたゲーム機は、80年代半ばに「家庭用ゲーム機」という新しい姿に生まれ変わり、90年代半ばには3Dグラフィックと大容量メディアという武器を獲得する。明らかにゲームが“変わった”と意識できるターニングポイントは、まさに10年置きに訪れているわけだ。
では、それからさらに10年が経った00年代の半ば、つまりは丁度今現在、ゲームはどう変わろうとしているのだろうか。

実は、DSのヒット作を見るとその回答の一端が見える。
DSのソフトで大きなヒットを上げている作品といえば、「おいでよ動物の森」、「ニンテンドッグス」、「脳トレ」、「マリオカートDS」だが、実はこれらのソフトは大きく2つに分類することができるのだ。
すなわち、「脳トレ」や「ニンテンドッグス」のような、生活に密着し現実世界になんらかの+αをもたらしてくれるゲームと、「おいでよ動物の森」や「マリオカートDS」のような、通信機能を備え他者との交流を行うことをウリとするゲームとにである。

まず前者について言うと、これらはこれまでのゲームとは全く違う、「ゲーム」と分類できるかもわからない新しいカテゴリーに属するもの。
“脳を鍛える”や“子犬と暮らす”と言ったキーワード自体は恐らく一過性のものであり、この先10年はおろか2、3年後ですら存在できるかどうか怪しいところだが、これらのゲームがヒットしたことの意義は、新しい年齢層をゲーム市場に取り込んだ、というこの一点にあると言える。
これは、丁度プレイステーションやセガサターンなどが、それまでゲームを子どもの玩具と見なしていた20代前後の青年層を新しい顧客として取り込むことに成功したことに似ている。
「新たな客層の開拓」はすなわち「市場の拡大」を意味し、それは「市場の変質」にも繋がる。これらのソフトのヒットは新しい10年の始まりを告げる意味を十分に持っていると言っていいだろう。

次に後者、「動物の森」や「マリオカートDS」のヒットについて言うと、これらがヒットした要因はいわずと知れた「通信機能」、言い換えるとオンライン性だ。そして、オンラインというキーワードこそが、恐らくこの10年を引っ張るゲームの新しい主流になっていくと僕は考えている。
もちろんオンラインゲームというカテゴリー自体はかなり前から存在していたし、PCの分野では相当発達して一つの市場を形成するに至っているが、コンシューマの分野ではインフラの整備が必要ということもあり、遅れていると言わざるをえない。
しかし、PS3やWii、Xbox360といったいわゆる次世代機にはこぞって通信機能が備え付けられ、ネットワークを通じて様々なサービスの提供を受けられるようになると言われている。
これは、明確に「オンライン性」こそが次世代ゲームのスタンダードになるということの証と言えるのではないだろうか。

そしてもう一つ、この記事の筆者が見落としている要素がある。
それは、ゲーム市場の「二極化」だ。

どんな市場にも言えることだが、新しく起こった市場ではまず様々なアイディアが試され、多くの製品が乱立する。そしてやがて良いものと悪いものの取捨選択がなされ、悪いものが淘汰されて良いものが残っていく。そののち、最後に訪れるのが二極化だ。
ゲーム市場における二極化とは、大規模な開発費を投じ、可能な限りクォリティーを高められたゲームと、開発費こそ低いものの、クリエイターの特異なアイディアを最大限に活かすことで質を高めたゲームに分かれることを意味している。

かつてのファミコンやスーパーファミコンの時代では、ゲームにかかる開発費はそれほど大きくはなかったため、様々な実験作が作られ、その中からクソゲーと呼ばれるものと名作と呼ばれるものが数多く生まれていった。
しかし、ハードがPSやPS2に移り、ゲームが2Dから3Dへと移行するにつれ、開発費はかさみ、結果意欲的な実験作は減り、確実に投資を回収できる見込みのある「ヒット作の続編」や「ヒット作のパクリ」が増えていくこととなる。結果、弱小ソフトハウスはなくなり、巨額の開発費を投入できる力を持った大手メーカーだけが生き残るという現状が生まれてしまったわけだ。
そしてこれからの次世代機戦争において、いよいよ本格的に二極化時代が訪れることになるだろう。

二極化の一翼、高級志向を担うのはもちろんPS3だろう。PS3ではそもそも億単位の開発費を投じないとまともなゲームが作れないという環境なので、必然的に高級志向ゲームしか生まれない。即ち、FFシリーズやMGSシリーズ、GTシリーズといった「凄いグラフィック」を持った「シリーズモノ」しか開発されにくい環境なわけだ。
逆に、二極化のもう一翼、アイディア志向を担うのは恐らくWiiになるだろう。任天堂もそれを重々承知しているらしく、Wiiにはクリエイターのアイディアを最大限活かせるよう、様々な機能が用意されているし、グラフィック性能はそれほど追求していない。ハードの値段もさることながら、ソフトの開発費も抑えられる傾向になるのではないだろうか。
よって、よく「次世代ゲーム機戦争に勝つのはPS3かWiiか」という話が語られることがあるが、二極化という観点から見れば、PS3もWiiもそれぞれ必要性があり、ある程度の需要は見込めるわけだ。もちろん、時代の流れや消費者のニーズにより、どちらかに優劣がつくことはあるだろうが。


以上より、今後10年のゲーム市場は、新しく開拓された高年齢層の客層、オンライン性、そしてゲームの二極化という3つのキーワードによってリードされていくことになる、と僕は予想する。
そして、それらのキーワードを現状で最もよく認識しているのは、SonyでもMSでもなく、任天堂であると断言する。なぜなら、DSやWiiの方向性が、明らかにそれらの条件を意識したものであるからだ。
今後Sonyが巻き返すにせよ任天堂が覇権を握るにせよ、大きな変革期を迎えつつあるゲーム市場は、ますます面白いものになっていきそうだ。
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×雑記:亀田戦の感想

8月2日に行われた亀田興毅のライトフライ級の世界戦の結果が余りに面白いことになりすぎて、各所で話題騒然になっているので流行に乗って色々とまとめてみる。
情報の出自は以下。
亀田×ランダエダ まとめ
亀田興毅-Wikipedia
亀田興毅のまとめ-ニュー速用まとめWiki

・亀田興毅自身の性格について

亀田興毅の物怖じしない、というか礼儀知らずとも言える態度については、僕はそれほど嫌悪感を抱かない。恐らくは演出なのだろうし、昭和のヤンキーキャラで売るのもそれはそれでアリだと思う。あれにいちいちムカっと来ていたら吉本新喜劇は見ていられない。
ただ、多少演出下手な面はあると思う。いくらヤンキーキャラだとはいえ、ある程度敬語を使うべき場面というのは設定しておいたほうがいいだろうし、そのほうがより広い年齢層からの支持を得られるだろう。俗に言う、「普段不良ぶってる人がたまにいいことをするとなぜかすごくいい人のように思われる」現象というやつだ。長男の失敗を活かし、次男、三男ではさらに完璧なキャラクター作りに励んでもらいたい。

という皮肉は置いておいて、実際のところ、本人が世界タイトルを取ったときに流した涙はさすがに嘘ではないだろうし、頭は恐ろしく悪いかもしれないが、根はまともな子のように思える。しっかりと努力もしているし、19歳で世界を相手に戦うというのは並大抵の人間にできることではない。
やはり憎むべきは、亀田本人よりもそれを利用している周りの大人たちだろう。

・亀田興毅の戦歴について

数字だけ見ると12戦12勝10KOと華々しい。が、1戦目から6戦目までの対戦相手は(記録に残っている試合についていえば)一勝も挙げたことがないというどう見ても噛ませ犬ばかり。7戦目でようやく“勝ったことのある”選手を連れてくるが、それすら引退経験のある35歳のロートルというありさま。その後の試合でもローブローで勝利するなど、疑惑の残る勝利が多い。これじゃ「温室栽培」と言われても反論のしようがないだろう。

しかも、最終的には実際の階級であるフライ級からライトフライ級に階級を落とし、空位のチャンピオンをさらに階級が下の元ミニマム級の選手と争う、というのだから笑える。ここまでお膳立てを整えてもらいながらも苦戦した亀田は、やはり選手としてはまだまだなのだろう。
 
・世界戦での判定について

1R目でのダウン、11、12Rでの圧倒的な苦戦から、判定で亀田が勝利するのはどう考えてもおかしい、という人がほとんど。確かに僕もそう思うが、ラウンドごとのジャッジのポイントを見ていけば、結果にはある程度は納得できる部分もある。
なぜなら、確かに亀田は1、11、12Rでは情けないくらいに苦戦していたが、それ以外の中盤のラウンドでは十分対等に渡り合っていたため、そのうちのいくつかのラウンドを取っていてもおかしくはないからだ。ダウンを考慮したとしても、12ラウンドのうち7ラウンドを奪えば114対113の1ポイント差で勝利できるような採点システムのため、1、11、12Rを除く9ラウンドのうち7ラウンドを制していれば亀田の勝ちは十分にありうるというわけだ。

ここで大きな問題なのは、マストシステムという採点制度。この制度ではラウンドごとの採点で、例え両者のポイントが拮抗しているときでも、どちらかに優劣をつけて点数をつけることが「奨励」されている。あくまでも奨励であって強制ではないが、1つの試合で3ラウンド以上同点の採点を行うジャッジは三流扱いされる、という話も聞く。
この採点制度を用いると、例えば中盤5、6、7、8Rのようなかなり拮抗しつつもやや亀田優勢のラウンドと、終盤の11、12Rのような明らかにランダエダのほうが押しているラウンド、そのどちらにも同じ“1ポイント差”がつけられてしまう。最終的には同じ効力を持つ1ポイントだが、中盤のラウンドの1ポイントと終盤のラウンドの1ポイントでは実内容における差が全く違う。恐らくはそれが、見ている人の印象と実際の判定との差につながっているのだろう。

しかし、それを差し引いても大きな疑問の残る判定がある。それは、12Rにおける金光洙という韓国人審判のジャッジだ。彼は、明らかにランダエダが押していたように見える12R目の判定で、10-9で亀田有利のジャッジを下している。ちなみに他の二人のジャッジは9-10でランダエダ。
12Rがどんなラウンドだったかは実際に見てもらうのが早い。ちなみにその前の11Rは、金審判も含めて3人全員が9-10でランダエダというジャッジを下しているので、11Rと見比べてみて欲しい。[→YouTube-11ラウンド目12ラウンド目]
僕はボクシングの素人だから余り大きなことは言えないが、それでもどう見ても11Rがランダエダで12Rが亀田、という判定をする根拠がわからない。もしこの審判が他の審判と同様に、この12Rについてランダエダ有利の判定を下していた場合、最終的な判定は1-1(ドロー1)で引き分けになっていた。そして恐らくそれが最もあり得る結末だったはずだ。
もしこの世界戦で八百長のようなことがあったとするならば、この判定こそがその結果であると言えるだろう。

・TBSの体質について

すでにネット各所で言われていることだが、亀田の世界戦が8/2に行われた理由は亀田の後援会である「全国青少年健全育成会」(笑)の設立者であり、山口組の幹部である英五郎の誕生日が8/2だかららしい。つまりは、暴力団との資金関係が存在しているということだ。
格闘技、暴力団、放送局というと、つい最近フジテレビが暴力団との関係を理由にPRIDEの放送を打ち切ったことが記憶に新しい。フジは大晦日に特番を放送するほどのドル箱だったPRIDEを捨ててまで暴力団との関係を絶とうとしたが、TBSは絶とうとするどころか世界戦を幹部の誕生日祝いにしてまでご機嫌を伺おうとしている。これは、亀田興毅という仮初のスターを祭り上げる云々と比較にならないくらいの大問題だろう。
ちなみにTV放映ではリングすぐそばのS席で亀田戦を観戦する山口組幹部の方々がばっちりと写りこんでいる。

ていうか、もうそろそろTBSの放送免許剥奪しちゃえよ総務省。この前の安部官房長官に対する印象操作事件とか、靖国問題に関する確信犯的な誤訳事件とか、石原都知事の発言の捏造事件とか、いくらなんでもやりすぎだろう。TBSがなくなっても特に困ることはなさそうだから、永久にこの世から消え去って欲しい。


以上が僕個人の一連の「TBS亀田プロジェクト」に関する感想のまとめ。

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