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×神話上の武器3 日本編

昨日の西洋のまとめに続き、今日は日本の武器のまとめ記事。
日本神話に登場する武器だけでなく、実際に現存するものも含めてまとめてみた。
漢字が多く読みにくいのはご愛嬌ということでひとつ。
17種
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×神話上の武器2 西洋編

前回から実に1年ぶりとなる、神話関係の知識のまとめ記事です。
本当は日本や中国系の武器をまとめる予定だったのだけど、思いのほか北欧系の武器が多くなってしまったため、とりあえずこちらだけでまとめてしまうことに。
前回のまとめが中途半端だったため、それに加筆修正する形でまとめました。そのためかなーり長いです。
[4/9改訂]42種
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×言葉ノート - 文学1 - パラドックス

エピメデスのパラドックス:
『クレタ人のエピメデスが言った。「クレタ人はみな嘘つきだ。」』
いわゆる自己言及のパラドックスと呼ばれるもの。自分自身を対象に含めてしまうことによって発生する矛盾を指す。この場合であれば、「クレタ人は全員嘘つきである」ということが真であればエピメデスの言葉は嘘となるので、「クレタ人は全員嘘つきである」という言葉も嘘、つまり偽ということになり、逆の場合でも同様に矛盾が発生する。

ベリーのパラドックス:
19文字以内で記述できない最小の自然数を求めるとしたとき、「19文字以内で記述できない最小の自然数」は「19文字以内で記述できない最小の自然数」という19文字で記述できてしまうので、最初の定義に合致せず矛盾してしまう、というもの。

囚人のパラドックス:
ある刑務所で、ある死刑囚に対して死刑の執行が告知された。死刑執行人はその囚人に対して、「月曜から金曜までの間のうち、お前が予測できない曜日に死刑を執行する」と告げる。それを聞いた囚人は考えた。「金曜日に死刑になることはありえない。なぜなら、木曜日まで刑が執行されずに生きていれば、自分は金曜に死刑になることを予測できてしまう」またしばらくして、囚人は考えた。「木曜日に死刑になることもありえない。なぜなら、金曜日に死刑になることはありえないのだから、水曜日まで自分が生きていれば木曜日に死刑になることを予測できてしまう」以下同様に、水曜日についても、火曜日についても、月曜日についても死刑が執行されるはずのないことに、ついに囚人は思い至った。「やった。つまり自分の死刑は執行されることはないのだ」
やがて月曜日になった。死刑執行人が現れ、囚人の死刑を今から執り行うことを告げた。囚人は「どの曜日で死刑が行われても自分はそれを予測することができる。よって死刑が行われるはずがない」と抗議したが、執行人は「だがお前は今日死刑が行われることを予測できなかったではないか」と答えた。そうして囚人の死刑は執行された。

アキレスと亀のパラドックス:
ギリシャ神話に登場する俊足の英雄アキレスと、ある亀が競走をすることになった。ただし、同じ条件で競走したのでは到底亀に勝ち目はないので、亀はアキレスにハンデとして数m前からスタートさせてくれるように頼み、アキレスもこれを了承した。すると亀は、アキレスはこれで絶対に自分を追い抜けなくなった、と言い放った。
その理由はこうである。スタートの合図と共に両者が走り出し、アキレスが亀がスタートした地点までたどり着いたとする。そのとき亀はその間にある程度の距離、例えばA地点まで進んでいるはずだ。その後亀のスタート地点を通り過ぎたアキレスが、さらに走ってA地点までたどり着く。すると亀はさらにその間にまた少し先のB地点まで進んでいる。アキレスはさらに走りB地点に到着する。亀はその間にC地点まで進む。アキレスはC地点へ。すると亀はその間にD地点に。以下繰り返し。
このように、アキレスが如何に亀に追いつこうとしても、亀がいた場所まで走っている間の時間に必ず亀は前に進んでいるので、両者の距離は縮まりこそすれ永遠に追いつくことはできない、ということだ。
もちろん実際にこんなことは起こり得ず、亀は簡単にアキレスに抜かれてしまうはずだ。

タイムパラドックス:
別名親殺しのパラドックス。もしタイムマシンなるものが完成した場合、それを使って過去に行き、自分の親を殺すとどうなるか。自分を生むはずの人間が死ねば自分は存在しなくなるが、自分が存在しないということは自分に殺されるはずの親は死ぬことはなくなり、結果自分は存在してしまう。
余談だが、ドラえもんで「地球破壊爆弾」なるものが出てきたとき、「これをタイムマシンで過去の地球に持って行って炸裂させたらどうなるんだろう」と子供のころひたすら考えたことがあったなぁ。

誕生日のパラドックス:
ある部屋に無作為に人を集めるとき、何人集めれば「同じ誕生日を持つ人がいる確率」が50%を超えるか。1年が365日あることを考えると、かなりの数を集めなければならなさそうだが、実はたった23人集めるだけでよい。
このパラドックスは、「矛盾」という意味のそれではなく、直感的な回答に反した答えを持つ問いのことを意味する。

パラドックスに関する雑考:
アキレスと亀のパラドックスは、古代ギリシャの哲学者ゼノンが考え出したもので、空間や時間の無限分割により起こるパラドックスである。無限という概念を扱おうとすると、どうしてもその性質から様々な矛盾点が出てきてしまう。それを突くことで、ゼノンは「万物は一からなる」というパルメニデスの主張を崩そうとした。このように、無限や永遠といった一種の反則のような概念は、実際のものとして捉えなおすと途端に手に負えなくなる性質を持っている。
例えば、数直線上の0.9の地点に点を打ち、それを0.99、0.999、0.9999と回数nにつき0.9*0.1^nずつ前に進めていく、という動作を無限回行うと考えたとき、点は永遠に前に進み続けるにもかかわらず、永遠に1に到達することはない、という矛盾が顕れる。
また、“永遠の命”というものを授かった人間がいるとすると、その人間が“永遠の命”を本当に授かったかどうかを確認する術は存在せず、ただその人間が死んだときにのみ「その人間は“永遠の命”を授かっていなかった」という事実が確認できるのみである、という矛盾も考えられる。

タイムパラドックスについては、多世界解釈を用いることで回避が可能であると言われている。多世界解釈とは、簡単に言えば世界は可能性によって無限に枝分かれしているという考え方で、シュレーディンガーの猫に代表されるような量子力学の矛盾を説明するための一解釈である。SF的に言うと、「こうなる可能性もあった」というパラレルワールドが無限に存在しているということだ。この解釈を使用すると、タイムマシンを使って過去に行き、自分の親を殺したとしても、「自分の親が死んだ場合の世界」が新たに生まれるだけで、自分が生まれた世界には何の影響も及ぼさないということになる。
ここでも無限という概念が登場するが、ここでの無限は正確には限りがないというわけではない。なぜなら、この世界に存在する確率事象は膨大な数には上りこそすれ、果てしなく多いというわけではないからだ。なので、平行世界の数は有限なはずなのだが、それでも無限に近いくらいたくさん、ということに変わりはなさそうだ。

上記以外のもので思いつくパラドックスとしては、「無生物から生物は生まれないはずなのに、なぜ原始地球上に生命は誕生することができたのか」や、「全ての結果には原因があるという因果律を考えた場合、では全ての始まりとなる原因はどうやって起こったのか」などの、“始まりに関するパラドックス”も考えてみるとなかなか面白い。

×言葉ノート - 学問2 - 人工知能

不気味の谷
日本のロボット工学の研究者である森政弘博士は、『一般的にロボットの外観を人間に近づけていくと親近感は高まっていくが、人間らしさがある点を超えた途端に親近感がガクンと落ち込み、それ以降は人間に近づけば近づくほどどんどん不気味に感じられるようになる』と主張し、この親近感の落ち込みを不気味の谷を名づけた。さらに氏は、不気味の谷に落ち込んだロボット同士を比較した場合、動かないものより動くもののほうがより不気味さを感じさせるとも主張している。

フレーム問題
有限的な処理能力しか持たない人工知能が現実的な問題に対処する際に、どこまでを認識させどこまでを処理させるかという枠(フレーム)を定める必要がある、という問題。
例えば「ある物をAからBへ移動させる」という動作を人工知能に行わせる場合を考える。人間であれば特に難しいと感じないであろうこの行為を、もし人工知能がフレームを設けない状態で行おうとすると、まず「その物が持ち上がるかどうか」、「その物を持ち上げても他の物は動かないかどうか」や、「移動させても他の物に影響しないかどうか」、「Bに置くことで問題が発生しないかどうか」など、普段人間が意識しないような事象に対してまで判断を行おうとしてしまい、結果オーバーフローを起こしてしまう。つまり、人間であれば当たり前のこととして無視してしまっている前提条件に対しても判断を行おうとしてしまうので、何を無視してよいか、何を判断しなければならないかを予め設定する必要があるということだ。
また、一見フレーム問題を解決しているように思える人間も、実は上手く誤魔化しているだけで完全に解決できているわけではない、とする説もある。これは、例えば何か新しい機械の操作法を覚えようとする際に、最初は全てのスイッチやパネルに対して思考を巡らせ、注意を払ってしまい、非効率的な操作しかできないが、次第に「どういうときに何を見、触ればいいか」、言い換えれば「何を無視してよいか」を学習していく、というその過程を、自らフレームを作り上げていくという作業に重ね合わせて考える説だ。

チューリング・テスト
エニグマの解読で有名なイングランドの数学者アラン・チューリングによって考案された、人工知能の完成度を測定するためのテスト。
簡単に説明すると、まず外界から隔絶された二つの部屋を用意し、それぞれに人間とテストしたい人工知能を入れ、判定者は外からそれぞれの部屋に対して質問を投げかけ、それに対する反応を見る、というもの。質問や回答はキーボードからの打ち込みによって行われ、また判定者はどのような質問をしても構わないし、回答する側の人間も、どのような回答を(機械的な回答や誤答でも)しても構わないとする。テストの結果、判定者が人工知能が入った部屋を人間的だと判定すれば、その人工知能は十分に知的であると結論付けられる。
このテストに対する論駁として、サールの中国語の部屋の思考実験がある。

中国語の部屋
アメリカの哲学者ジョン・サールが提唱した、チューリング・テストに対する反論的思考実験。
ある部屋に、英語しか話せない人間を閉じ込めるとする。その部屋には、外からの質問に対して回答するための筆談の道具と、あらゆる質問とそれに対する回答のパターンが網羅された中国語の辞典、そしてその辞典の使い方が書かれた英語の説明書が置いてある。この状態で、中国人が部屋の外から質問文をこの部屋に投げ入れると、中の人は中国語が全く読み書きできないにも関わらず、その質問文に対する回答を中国語で返すことができる。すると、外の中国人は、部屋の中にいる人間が中国語が全く理解できないにも関わらず、あたかも中国人であるかのように錯覚してしまうというもの。
つまり、チューリング・テストでは「中国語の辞典」と「中の人の作業効率」の完成度の度合いしか判定することができず、「中の人がどれだけ中国語を理解しているか」という本質的な部分の判定は行えていない、という反論である。
ただ、この中国語の部屋の例えでは、辞典を含めた部屋そのものを人工知能に当てはめて例えているため、チューリング・テストが人工知能の知性を判定していないと結論付けるためには中国語の部屋全体が中国語を理解できていないということを証明しなければならない。また、サールは「量(スケール)」の存在を無視しているため、作業を続けるうちに中の人が中国語の文法を理解していく可能性や、複雑な質問に対する回答を導くための作業量に対する推量などを欠いている、という指摘もある。

自由意志
その言葉が表す通り、人間の選択はそれぞれの自由な意志によって行われているという学説。予め決定された選択肢に沿って行動するのではなく、自らの意志によって行為を決断するという自由を持つということは、一般的な機械と完成された人工知能との間にある大きな差異の一つであると考えられる。
絶対的な自由意志を保障するためには、基本的に「将来起こる全ての事象は現在の状態によって予め決定されている」という決定論よりも、それを否定する立場の非決定論的な観念が必要であると一概には考えられているが(決定論と自由意志は両立し得ないという非両立主義)、ホッブズのように、決定されているかどうかは問題ではなく、人がある行為を意志したときにその行為とは別の行為を行うことも可能であったという場合にのみ、人間は自由意志を持ち得るという主張もある(両立主義)。この『「別の行為も行えた」ということが必要である』という原理は選択可能性の原理と呼ばれる。
前者の立場においては、しばしば「神の存在証明」が問題とされた。なぜなら、キリスト教的な「全知全能の神」がもし存在するのであれば、その神によって全ての事象の帰結は予め決定付けられており、まるでチェスの駒であるかのような人間の自由意志など、存在し得るはずがないということになるからだ。

神の存在証明
中世哲学において、観念的に存在が自明であるとされていた神を、実態的な或いは理性的な論証によってその存在を証明しようと考え出されたのが始まりである。その証明方法によって、
・「これほど完成された自然界が存在するのだから、
 それを作り出した何者かが存在しないわけがない」とする目的論的証明
・「存在を属性として捉え、その存在属性を最大化したものが神であると定義すると、
 故に神は最大限に自明に存在する」とする逆説的とも言える本体論的証明
・「全ての事象には原因と結果があるが、その原因の原因、さらにその原因、
 と辿っていくと最終的に原因の出発点たる神に辿り着かねばならない」とする宇宙論的証明
・上記三つの証明を否定した上でカントが導き出した道徳論的証明
という四種類の存在証明に分類することが出来る。


人工知能に関する雑考:
もし将来的に、外部刺激に対して人間と全く変わらない反応を返す人工知能が開発された場合に、それを人間とは異なると断定することが果たして可能なのだろうか。確かに、「生物的な体を持たない」などのように、物質的な面からその区別を行うことは可能かもしれない。しかし、中国語の部屋による反駁と同じように、その内部で人間と同様の処理が行われ、人間と同様の意識を持ち、自由意志によって行動を選択しているかどうかの判断を外部から行うことができるのか。
もっと直接的に言うなら、「それは自我であるか否か」の判断をどうやって下せばいいのだろう。
人間の意識活動を行動主義心理学や認知心理学によって機械的に分解し、それを人工的に再構築することで究極的な人の模造物である人工知能は完成する。さらにその人工知能が人間と同様の運動を行うことが可能な、また人間と全く同じ外見を持つボディを手に入れたとした場合、我々人間は、彼らを「ロボット」と見るだろうか、それとも「人間」として扱うのだろうか。

「不気味の谷」の問題がなぜ起きるのか、ということを考えた場合に、それは我々人間が人間とそっくりのロボットをあくまでもロボットと見なしているからであると考えられる。つまり、人間の手によって作られた筐体を我々はどうやっても人工物としか見なせないのだ。
例え完全な人工知能と完全な人工筐体を備えたロボットが完成したとしても、それはどうやっても人間たりえない。ならば、「人間と全く同じ情動を催すもの」と「人間」との差異を生む何かが、そこには確かに存在していなければならないはずだ。
恐らくそれは、我々の中にあるものなのではないだろうか。もし一見すると人間と全く変わらないロボットがいるとして、それがロボットだと知らされることなく相対すると、恐らく我々は「不気味の谷」による恐怖感を抱かないだろう。それが「人工物」であるとわかった瞬間に、我々はそれを「ロボットである」と見なす。つまり、「完全に人間に近い人工物」と「人間」を分けるファクターは、それを判断する人間がその対象に投げかける意識によって左右されると考えられないだろうか。

×言葉ノート - 宗教2 - 聖遺物

不朽体(incorruptible):
東方正教会における、永久に朽ちることのない聖人の遺体の別称。不朽体と認定されるためには、「腐敗しない」「硬直しない」「芳香を発する」「出血する」などのいくつかの条件があり、全世界に数百体は存在していると言われる。一説には、その多くが特殊な環境化におかれたことでミイラ化したものや、死後その遺体を長く保存するために防腐処理を施されたものだと言われるが、中にはなぜ不朽体となりえたのか全く謎に包まれたものもある。

聖杯(Holy Grail):
最後の晩餐において、イエス・キリストが使用した杯。または、アリマテアのヨセフが磔刑に処されたキリストの血を受けた杯ともされる。後に円卓の騎士で名高いアーサー王伝説の中に聖杯伝説として登場し、騎士ガラハットがついにそれを獲得することになる。
近年大ベストセラーとして話題になった『ダヴィンチ・コード』の中では、聖杯はマグダラのマリアの遺体もしくは血脈と同一視され、キリストの神性を否定し人間としての存在を浮き彫りにするファクターの一つとしてシオン修道会が守り続けているものと想像されている。また、それを裏付けるというわけではないが、近年になって『失われた聖杯』の位置を指し示すとされる碑文に刻まれた暗号が解読された際、現れたのはシオン修道会員によるキリストの神性を否定する文章だったという事実がある。

聖槍或いはロンギヌスの槍(Holy Lance):
イエス・キリストが磔にされた際、その死を確認するために脇腹に突き立てられた槍。ロンギヌスは槍を突き立てた兵士の名と言われるが、単にラテン語のlongus(長いという意味)から来ているという説もあり、その場合はロンギヌスの槍=長い槍という意味になる。
その後「手にする者は世界を制する」という聖槍伝説が生まれ、その影響からか古くは初代ローマ皇帝から近年ではアドルフ・ヒトラーまで、英雄や侵略者と聖槍との逸話は数多い。
現在はウィーンのホーフブルグ宮殿に展示されている。

聖骸布或いはトリノの聖骸布(Holy Shroud):
トリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されている、キリストの遺骸を包んだとされる縦4.36m、横1.1mの杉綾織の亜麻布。
800年以上に渡って本物かどうかという論争が繰り広げられてきたが、1898年にある人物が布の写真を撮ったところ、キリストと非常に酷似した人物の姿がネガに移りこんでいることが判明し、多くのキリスト教信者から本物であると信じられるようになった。その後の調査によってC14にかけられ、布の作成年代が1260年頃から1390年頃であると特定されたが、その調査法に問題があったことも指摘されており、未だに論争の解決は得られていない。
ちなみに、現代のいかな技術をもってしても聖骸布と同様のネガを再現するのは不可能だそうだ。

聖櫃或いは契約の箱(Ark):
十戒が刻まれた石版を収めるために作られた箱。材料はアカシヤの木で、長さ130cm、幅と高さがそれぞれ80cm、箱の四隅には足が取り付けられている。また、持ち運ぶ際に手が直接装飾に触れないよう、二本の棒が備わっている。現在は行方不明。
また、カトリック教会においては、聖櫃は聖体の安置を目的とした棺のことを言う。

ノアの方舟(Noah's Ark):
旧約聖書の創世記に登場する大洪水伝説において、善良なる人間ノアが自らの家族と多種多様な動物たちを乗せるために作った船。その大きさは長さ133m、幅22m、高さ13mほどであり、この「長:幅:高=30:5:3」という比は、現代でも大型船を建造する際に最も安定するとされる「黄金比」とほぼ同じであるという。
1800年代後半から現代にかけて、トルコにあるアララト山中腹にて実際に巨大な船体のような影の存在が何度も確認されており、ノアの方舟の残骸ではないかという説が浮上している。その大部分は氷河に埋もれており、発掘作業は困難な状況だが、やがては真実が明らかになっていくことだろう。

【参考サイト】
幻想画廊 - 不朽体(ふきゅうたい)-死後数百年後も朽ちることのない遺体の謎-
http://photo-collage.jp/gensougarou/gall/gall/25.html
聖杯(the Grail,the Holy Grail)
http://www.pandaemonium.net/menu/devil/grail.html
X51.ORG : エニグマ解読者が「失われた聖杯」の暗号を遂に解読
http://x51.org/x/04/11/2737.php
X51.ORG : イエスの体を刺した槍 - 「ロンギヌスの槍」は実在するか
http://x51.org/x/04/11/2810.php
X51.ORG : トリノの聖骸布 - その布はイエスを包んだか
http://x51.org/x/04/04/0555.php
最後の奇蹟─トリノの聖骸布
http://www.actv.ne.jp/~yappi/tanosii-sekaisi/01_sensi&kodai/01-19_seigaifu.html
X51.ORG : ノアの箱舟を露研究団が現地調査 潜水艦説も浮上
http://x51.org/x/03/11/0255.php

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